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南ドイツ旅行(17);フランクフルト観光、帰国



2月10日(火)はフランクフルト観光をしてから帰国する日です。

ホテルをチェックアウトし、荷物をもってケルン中央駅から9:20発のICE11列車に乗り、10:14にフランクフルト空港駅に着きました。飛行機の出発時間は20:25ですので観光時間は十分にあります。まだ搭乗のチェックインは出来ないので、空港内の荷物預かり所に荷物を預けて電車でフランクフルト中央駅に行きました。

ぶらぶら歩いて観光しました。と言ってもこの日は天気が悪く、寒くて雨が降り風もあって地図を見ながら歩くのが大変でした。
ゲーテが洗礼を受けたとされるカタリーナ教会へ行きました。うす暗くて冴えない写真になってしまいました。もっとも私の写真のまずいのはこれに限りませんが...
カタリーナ教会

それから南に下ってレーマー広場を通り、小雨の中でマイン川を改めて眺めました。マイン川はヴュルツブルクでも眺めたのですが、フランクフルトはその下流になります。そしてさらに先のマインツでライン川に合流します。
なお、フランクフルトは正式にはフランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)と呼ばれます。“マイン川沿いのフランクフルト”という意味ですが、それでは別のフランクフルトがあるのかというと、どこかにはあるのかも知れませんがあいにく私は知りません。

それからまたレーマー広場に戻りました。広場はこじんまりとした印象でした。寒くて雨が降っていて写真をとらなかったのが残念ですが、木組みの切り妻屋根の旧市庁舎(レーマー)が、広場に面しているからこの名があります。三つの三角屋根がならんでいて、それぞれの三角形の辺がカクカクとしてきれいです。

なお、レーマーとはローマ人の意味です。ローマ人豪商が宿泊していた館を市が買い取り、さらに両隣をつなげて市庁舎としたのだそうです。(だから三つの三角屋根が並んでいる。)

ここの二階には、神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式の祝宴が開かれたカイザーザール(皇帝の広間)があり、お金を払えば入れます。ただし入口は正面ではなくて、脇の路地から中庭を通る形で入るのです。もっとも知らないで正面から入っても、あっちへまわれ、と教えてくれます。カイザーザールでは、カール大帝を始め歴代神聖ローマ帝国皇帝52名の等身大の肖像画を見ることができます。
レーマー(フランクフルト)

なお学校では神聖ローマ帝国は962年のドイツ王オットー一世の戴冠より始まると習ったのですが、ドイツではカール大帝から数えるようです。
冬場で観光客もなく、部屋の中には我々夫婦しかいませんでした。お蔭でゆっくりと見られました。

ここを出てから、ほど近いところにある、ゲーテハウスにいきました。ゲーテはそこで生まれ、十六歳でライプツィヒ大学にいくまでそこで育ちました。その後も体調を崩したりしてもどって来ているようです。建屋は実は第二次世界大戦の爆撃で破壊されたのを復元したのだそうです。幸いにも調度品は避難してあったので爆撃を免れたようです。
入るのは一階のゲーテ博物館からです。十八世紀の上流階級の邸宅というのはこんなものなのだ、と感心して見ました。一階には食堂と台所がありました。三階のゲーテの父親の書斎には本がいっぱいあります。四階まであって、その四階の一室にはゲーテの机があり、そこでゲーテは「若きヴェルテルの悩み」の原稿など書いたのだそうです。また四階には妹と一緒に人形劇をやったとかいう部屋がありました。
なお、各部屋に暖房用のストーブ(壁が張り出しているように見えます。)がありますが、部屋の外側で召使が火を炊いて部屋が温まる仕組みです。一階では台所のかまどは、食堂のストーブの焚口にもなっているそうです。

話は飛びますが、私は「若きヴェルテルの悩み」というのは、あんまり感心しないし、好きでもありません。ヴェルテルは勝手に片思いして苦しんでピストル自殺しただけのように見えます。相手の女性は人妻で確かにヴェルテルを嫌ってもいなかったでしょうが、といってヴェルテルを熱烈に愛しているわけでもないのです。これではあきらめるのが常識というものです。

さて、早めに空港にもどることにして、ゲーテハウスを出てから電車で空港にもどりました。 20:25に出発し、翌日である2月11日の15:50に成田へ着きました。

これで南ドイツ旅行はおしまいです。次は2007年の東欧旅行のことを書きます。




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南ドイツ旅行(16);ケルン観光(2)



アーヘンからケルンに戻ってきたところで、ケルン観光の目玉である大聖堂に行きました。ゴシック様式の建築物の中ではこれが世界最大なのだそうです。
外観の写真を撮ろうとすると、近くからではうまくおさまらないです。
これは正面入口での写真ですが、これは建物の迫力が伝わりません。
ドーム入口(近くから)

中に入るとステンドグラスがとてもきれいです。なにしろ建物が大きくて背も高いですからステンドグラスは沢山あり、かつ背のたかいものになります。それぞれ描かれているものはキリスト教にまつわるいろいろな事件、逸話などでしょうが、残念ながら知識がないので、ステンドグラスの絵の意味は理解しておりません。見て目を楽しませるだけでした。
ステンドグラスであらたに修復された部分は、より現代的な抽象模様のものとか、少女マンガ的なもの(かわいらしい土星もあり)とかもあります。もし壁画で並べてあったら違和感があるかも知れませんが、ステンドグラスだと不思議に調和して見えます。

これはライン川にかかるホーエンツォレルン橋のたもとまで行って撮った写真で、この方向からだと大聖堂の姿かたちは一応は見えますが、それがどれほど立派な構造物であるか、ということが伝わりません。
ドーム(ホーエンツォレルン橋から)

ちなみに上の写真はホーエンツォレルン橋に背を向けて大聖堂方向を撮っていますが、ホーエンツォレルン橋の方を向いて撮るとこんな感じです。写真でははっきりしないのですが、この橋は鉄道線路部分と歩道部分よりなります。車は通れません。
ホーエンツォレルン橋

ホーエンツォレルン橋の両側にはそれぞれ銅像が二つずつあります。(全部で四つです。)これは川の大聖堂側の銅像の二つのうちの一つで、Friedrich III世の像です。
ホーエンツォレルン橋のたもとの銅像
因みに大聖堂側のもう一つは道の反対側にあってWilhelmII世像、そして川の向こう側にはFrederich WilhelmIV世像とWhilhelm I世像があります。

続いて13世紀に建てられ、12使徒を祀った聖アポステルン教会へ行きました。ロマネスク様式の教会です。
聖アポステルン教会

それからライン川へ向かい、川岸を散歩しました。ここは第二次大戦の激戦地になりましたから、川岸の石垣の下の遊歩道を歩くと石垣が沢山の弾痕で凹んでいるのが見られます。

さて、大聖堂がもうすこしましに撮れないかとこれはややはなれて正面の上の方を撮ったのですが、どうも今一つです。
ドームの上側

さらに離れるとこんな感じになります。上は切れてしまっていますが、これが一番大きさの感じがでているかも知れません。
ドームの遠景

そして夕食はペターズ・ブラウハウスに入りました。1544年創業という老舗だそうです。この店のビールであるペターズ・ケルシュもうまいです。さすがにドイツはビールの国です。
ソーセージを食べたのですが、ソーセージも付け合せも美味しかったです。店によりソーセージが異なり、付け合せのザワークラウト、ポテトも味が違います。しかしどこの店のも美味しかったです。ドイツはソーセージの国でもありますね。

食事を終えて店を出かかったとき、店に入って来た一人の男が、「日本人か?」と英語で話しかけてきました。「そうだ。」と答えると、うれしそうに「日本は1941年に真珠湾を爆撃して戦艦を破壊したよな。」と言いましたので、笑って頷いて店を出ました。

あすから一週間は海外へ出ます故、ブログ更新はお休みさせていただきます。




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南ドイツ旅行(15);アーヘン観光



今日(2月9日)は、ベルギー国境から直線距離で5-6 kmのドイツのもっとも西の町、アーヘンへ観光に行きました。
小さい町で見るところも少ないので半日で十分と考え、8:47にケルン中央駅発、9:47アーヘン中央駅着で行き、アーヘンを観光し、13:10アーヘン中央駅発、14:12ケルン中央駅着でもどり、あとはケルンを観光するという予定にしました。

駅でタクシーにのり、大聖堂そばまで来ました。さてこの大聖堂は、なんと786年にあの有名なフランク王国のカール大帝が建設を始め、814年彼が死ぬとここに埋葬されたという由緒あるところなのです。今の大聖堂はその後千年にわたっていろいろあった末に、出来上がった形とのことです。
たとえば881年にはバイキングに壊され、983年に修復され、14-15世紀にはゴシックの部分が付加され、1881年にまた修復され、といった具合です。

936年のオットーI世の戴冠から1531年のフェルディナンドI世にかけての神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式は殆どここで行われたのですから、大変格式の高い教会です。つまりアーヘンという町はそんなに馬鹿にしたものではないのです。

大聖堂の外観は下の写真の様な感じです。
アーヘン大聖堂

説明書などによれば、この大聖堂は古典主義様式、ビザンティン様式、ゲルマン様式-フランク王国様式の要素を備えたもの、とあります。必ずしもそれを否定的に説明されている訳ではありません。
しかしこの写真ではわからないのですが、個人的にみると、この大聖堂については残念ながらちょっと異質のものの寄せ集めの感があります。。

この写真は、アーヘン大聖堂から、次の観光スポットである市庁舎にあるいてゆく途中の風景です。ドイツらしいきれいな街並みです。
アーヘン街並み

これが市庁舎です。この市庁舎は市の二つの広場、Markt広場とKatschhof広場(こちらの広場は市庁舎と大聖堂の間にあります。)に挟まれています。もとは廃墟になっていた宮殿を1330年に市民が再建したものだそうです。
アーヘン市庁舎

市庁舎の中は写真が撮れないのですが、一階の戴冠式の間(戴冠式の後の宴会場?)は堂々たる広間で、カール大帝の事績を描いたらしきフレスコ画が見られます。
残念ながらカール大帝(あるいはチャールズ大帝)という名前は学校でならいましたが、彼にどんなことがあったか何も知らないのでよくわかりません。考えてみるとフランク王国ってなんだ、というレベルですから仕方ないです。
あと、王冠、錫、剣などのレプリカを見ることができました。

帰りはゆっくり歩いて駅に戻りました。昼食は地味にアーヘン中央駅のマックで摂りました。そして14:00過ぎにケルンに戻りました。




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南ドイツ旅行(14);ケルン観光(1)



翌日(2月8日)は、ヴュルツブルクを8:56発の列車でケルンに向かいました。

これらは早めについて、まだ乗る列車が来る前のヴュルツブルクのホームでの写真です。
ヴュルツブルクで列車待ち2

ヴュルツブルクで列車待ち


3時間近く列車に乗って11:40にケルン中央駅に着きました。
初めてケルンに来たのは昭和56年(1981年)でしたが、その時はケルン中央駅には降りず、ハンブルクからケルン-ボン空港へ着きました。平成6年(1994年)に出張した時にはケルン中央駅でおりました。成田からルフトハンザでフランクフルト空港に着き、そこからルフトハンザの運航列車に乗り継いで、ケルンに来たのです。だからチケットも成田からケルンまでだし、荷物も成田からケルン中央駅までの預け荷物で、ケルン駅で受け取ったのを懐かしく思い出します。

この駅は出るとすぐに巨大なケルンの大聖堂が見えるので、非常に印象がつよい駅です。初めて見る人は大聖堂が圧倒的な迫力の所為で、それまで見てきたヨーロッパの聖堂の印象が薄くなってしまうくらいです。

さて泊まるのはHilton Cologneで、駅からほど近い筈のくせにすぐには見つかりませんで、スーツケースを転がしながらうろうろしました。孫を連れて散歩しているおじいちゃんに聞いたらすぐ近くで、ご親切にホテルの前まで連れていってくれました。

ホテルに荷物を置いてから昼食を摂りに行きました。フリュー・アム・ドムというケルン大聖堂の南の広場にほぼ面しているブラウハウスに入りました。昭和56年の出張の時もそこでビールを飲んで大変にうまかったので直ちにそこに行きました。
ケルシュビールはおいしく、またソーセージもとてもよかったです。ケルンに行ったら是非行っていただきたいお店です。

一番の大物観光スポットである大聖堂は後回しにして、大聖堂のすぐ脇にあるローマ・ゲルマン博物館に行きました。
これは平成6年に来たときも入ったのですが、展示がすばらしく家内にもみせたかったからまた行きました。ケルンがローマの支配下にあったころの遺跡が中心ですが、原始時代から中世前期にわたる様々な考古学的資料が展示されています。古代ローマのガラス製品、アクセサリー、モザイク画、お墓など、ローマが非常に優れた文明であったことを示す資料に驚嘆します。

それから南にぶらぶらと歩いて、旧市庁舎を見物しました。
これが旧市庁舎の市庁舎塔で1407-1414年に作られたものだそうです。
ケルン旧市庁舎1

これは市庁舎塔の下側の写真です。熱心に見学している人がいますね。
ケルン旧市庁舎2

これも旧市庁舎の一部になります。
ケルン旧市庁舎3

そして次なる目的地、ヴァルラーフ・リヒャルツ博物館に行きました。Wallraf-Richartz Museumとあるので、博物館と書きましたが美術館です。ここは美術愛好家にとっては見逃せない場所です。ケルン派の絵の主要な作品がある、と言われます。宗教画もありますが、バロック絵画、18世紀以降の近代絵画も展示されています。たとえば普通によく知られたクラーナハ、レンブラント、ルノワール、ゴーギャンといった画家の絵もあります。

そのあと寒いですが、ライン川の畔をちょっと散歩してからホテルにもどりました。




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南ドイツ旅行(13);ヴュルツブルク観光(3)



次に行こうと考えた観光スポットはマリエンベルク要塞なのですが、その前にお腹が空いたのでバックエーフェレというドイツ料理レストランに入りました。

地ビールとソーセージで知られた店とのことですが、評判にたがわずソーセージもビールもよかったです。二人で合計€25で本当にお腹いっぱいになりました。なかなか雰囲気のよい店です。

それからマリエンベルク要塞に行きました。マリエンベルク要塞はこれまで見物していた市街の地域とはマイン川を挟んだ反対側(西側)の丘の上にあります。

紀元前千年以来、このあたりにケルト人の要塞があったそうです、その後フランク人が移住してきて教会を建てたりしました。13世紀-18世紀の間はヴュルツブルクの司教領主の居城兼要塞でした。司教領主はその後レジデンツができたところでそちらに移り住みました。

4月-11月はガイドツアーがあるのですが、冬場はありません。よってガイドツアーではいれる領主の館などは冬場は見られません。
ネットでみると登るのが大変なように書いてありましたが、真冬の所為か全然汗もかかず苦労もなく登れました。おまけにとてもすいていてゆっくり楽しめました。

これは緩やかな登り勾配の橋から門に入ってゆくところです。
マリエンベルク要塞入口

門を通って先にゆくと、こんな感じのところをゆったりと登ります。城壁の向こうに館と塔があります。左がマリエン塔、右がランダースアッカー塔です。写真で見る感じよりは勾配は急です。
マリエンベルク要塞上り坂

中庭に入ってきました。この塔はベルクフリート塔です。
マリエンベルク要塞ベルクフリート塔

この写真の手前の構造物は深さ102 mの井戸です。要塞なので包囲されても水に困らないようにしてあるのですね。
マリエンベルク要塞マリエン教会

シェーレンベルク門をくぐって外にでたところです。画面左寄りに門がありますが、これがそのシェーレンベルク門です。
マリエンベルク要塞シェーレンベルク門

マリエンベルク要塞を出てから徒歩でマリティム(ホテル)へ戻りました。さすがにお昼が重たかったので、夕食はホテルのレストランで私はサンドイッチとビール、家内はケーキとコーヒーでした。 実は観光案内本の印象からマリエンベルク要塞は11月から3月はろくにみるところがないのでは、と覚悟して行ってみたらまずは楽しめたのでよかったです。




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プロフィール

badaud

Author:badaud
2008年(平成20年)6月に退職いたしました。たまに酒をのみ、ごくまれにゴルフをし、年に一度程度海外旅行をしています。行ったところはヨーロッパ中心で上の地図で赤く表示した国々です。

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